喜左衛門ブログ:President Blog

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2022年10月6日 (木)

大阪の鴻池組旧本店(登録文化財)は素晴らしかった!!

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先週、いつもお世話になっている鴻池組(ゼネコン)さんの文化財の見学をしました。
登文会の仲間の大阪の寺西会長と青山さんを誘って一緒に出掛けました。
私は生まれて初めて大阪の伝法(でんぽう)に足を踏み入れました。

◆大阪市の西の端、大阪湾に面し淀川の河口周辺に此花区(このはなく)伝法があります。
江戸時代は日本中の物資、とりわけコメ(米)がこの船着き場に集まり、大阪の堂島ではコメ相場(世界初の先物取引)が立ち、堂島川の周辺の米蔵にコメが備蓄され日本中へ流通しました。
つまり江戸時代のコメと中心にした日本経済の物流の要でした。
廻船問屋(物流業)を祖業とする大阪の鴻池組は此花区の伝法(でんぽう)に誕生しました。

さてここが鴻池組旧本店です。明治43年(1910)の建築です。(登録文化財)
洋館・・・セセション様式の外装とアール・ヌーヴォーの内装

和館・・・1階は出格子。大戸を構えた伝統的な大阪の町家

創業者、鴻池忠治郎(1852-1945)の銅像

◆17世紀、鴻池組は廻船問屋でしたが、明治維新で幕府の年貢米制度は壊れ、大阪の堂島を中心としたコメ経済は終了し廻船業は大きな転機を迎えます。
明治4年(1871)に跡目を継いだ鴻池忠治郎は建築や資材の斡旋、製造請負に転換します。
この伝法の地から、近代の鴻池組がスタートします。

いよいよ旧本店の館内見学です。

玄関の北伝法の「北」の屋号です。

今は大阪の「キタ」は梅田(JR大阪駅)周辺を差しますが、当時の「キタ」は北伝法のことをいいました。
洋館玄関の素晴らしいステンドグラス・・・鴻にあやかり鳳凰の絵柄です

玄関の天井のエンゼルの彫り物です。

さて、鴻池組の発展の話の続きです・・・
◆明治18年(1885)に「水の都・大阪」で大洪水が発生し、大阪府の20%が浸水するという大被害がでました。
度々の洪水に業を煮やした政府は、新淀川を作り洪水問題を一挙に解決する英断を下しました。
鴻池組の伝法あたりを河口とする淀川改修の大プロジェクトです。
鴻池忠治郎は、明治31年(1898)にこの大土木工事を請負う勝負にでます。
丁度その頃、日本は日清戦争(1894-95)、日露戦争(1904-05)と戦争が続き、日本経済の製鉄や兵器製造など近代産業の育成が叫ばれていました。
大阪湾周辺の土地、とりわけ伝法のあたりの埋め立て地に住友の平炉工場(日本鋳鋼所)の建設を鴻池組は請け負い、次々と工場建設を受注していき発展しました。

さて、洋館の2階はアール・ヌーヴォー様式です。

応接間

カーテンは川島織物製で見本が大事に保管され、次の吊り替えに備えています。

アール・ヌーヴォーの植物の絵柄のガラス

家具の彫り物は見事です。

和館を見学しました。
階段の手すりの可愛い獅子・・・当館きっての人気者だそうです(@_@)

立派なお座敷

床の間・・・黒柿の木材が使われています。

説明をして頂いた鴻池組本社の中島さん

欄間のいろいろ

2階の和室の奥に暗室がありました。

小生は中学生の頃、写真部に所属をして理科室の奥にある暗室で写真の現像をしていました。拙宅の私の部屋の押し入れを暗室にして密かに楽しんでいました。
同じ趣味やんか!・・・懐かしいなあ・・

和館と洋館をつなぐ階段・・・天井の高さが異なるので段差があります

記念撮影・・・左から、酒井さん(鴻池組京都支店)、小生、寺西会長(大阪登録文化財)、青山事務局長(同)、中嶋さん(鴻池組東京支店)

楽しい鴻池組旧本店の見学会でした。
ありがとうございます<(_ _)>

ここからは、大阪登文会の青山さんの案内です!(^^)!
◆鴻池組旧本店のすぐ近くの鴉宮(からすみや。この花えびす)に参拝しました。

鴻池組の碑がありました。

鎌倉時代に伝法の村の守り神として祀られる。

この度、文化財への助成事業の一貫で、立派になった本殿の屋根

◆澪標(みおつくし)住吉神社

昔(804年)、遣唐使の無事を祈願して建立される。

澪標のシンボル

江戸時代は伝法口の要所の港として栄え、海の守り神として崇拝されました。

水の都・大阪の成り立ちと明治維新後の大阪の変遷と、鴻池組の発展がよく理解できました。
ご案内頂いた鴻池組の中島さん、有難うございました。
大阪の寺西会長(阿倍野区)、青山事務局長(船場)とご一緒して、大阪の色々な事情の話になりとても勉強になったひとときでした。

注・・・大阪の鴻池財閥(両替商→鴻池銀行→三和銀行→三菱UFj銀行)の鴻池と鴻池組は家系が異なるそうです。
鴻池財閥は伊丹で醸造業もしており、鴻池組の廻船業とはもちろんお取り引きがあったようですが・・・
ともかく明治時代の大阪の変遷を現地で勉強ができ、とても有意義なひとときでした。