喜左衛門ブログ:President Blog

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2024年4月10日 (水)

大阪の道修町の旧小西家住宅を見学してきました。

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「北浜」というと東京の「兜町」とならぶ大阪の証券取引所です。
大阪の恩人・五代友厚公(1836-1985)の銅像です。

大阪ガスビルです。(1933年築、登録文化財)

新井ビル(1922年築、旧報徳銀行大阪支店、登録文化財)

三井住友銀行大阪中央支店(1933年築、三井両替店の三井銀行大阪支店として建設)

このお隣にあった三越の大阪支店は取り壊され、今は巨大なマンションとなりました。

この辺から道修町(どしょうまち、江戸時代の幕府公認の薬種問屋の特区)
武田薬品、塩野義や日本の製薬会社の老舗は大部分が道修町の出身です。
悪性の癌の特効薬「オブジーボ」で有名な小野薬品工業の本店ビル

小野薬品の相良社長は小生の大学の後輩(商学部、私は経済学部)です。(4月から会長に就任)
3日前に会った時、彼は「社長を15年間務めている」って言いました。
私は「50年間社長をしている」と中小企業らしい自慢をしました(^_-)-☆

さて、小野薬品工業の前の黒い巨大な民家が目的の小西家住宅(小西儀助商店)です。


今日は日本民家再生協会の主催の見学会で「登録文化財所有者の会」の我々も合流して参加させて頂きました。

小西儀助商店は1870年に創業し、薬種問屋、酒造、飼料などの問屋として営業し、今は、「コニシボンド」(接着剤)として有名な優良会社で上場しています。

大阪の真ん中の目立つ真っ黒な日本家屋ですから、大阪人なら誰でも知ってる名所ですが、中に入った人は聞いたことがありません。
元々の原型の屋敷の模型


地震や戦災など幾多の災禍をくぐった屋敷です。

創業者の初代・小西儀助と2代目の儀助さんです。

初代の小西儀助

2代目の小西儀助(初代の娘婿、近江出身)が店を大きくしました。

2代目が作った葡萄酒

3代目さん

4代目さん

コニシボンドの石川館長の説明

昔の薬研など商売道具の展示です。


初代の肖像の掛け軸

鳥井信治郎さんは小西儀助商店で丁稚奉公して独立してサントリーを創業しました。

いまでもサントリーは小西儀助商店を主家(奉公先)として大事して、サントリーの新入社員はこの屋敷を訪問して小西儀助さんへ敬意を表し、創業者の修業の苦労を偲ぶのだそうです。サントリーらしい美談ですね( ^)o(^ )

付け書院の縁起・・・上部の透けたところがゲンがよい七五三の竹の格子になっています。

三越さんのマークも髭(跳ねた箇所)の部分が七五三になっている、

贅沢なお庭

台所とへっついさん(かまど)

おくどさん(かまど)。これで50名の食卓の用意をしました。

薬種問屋の薬研(やげん)。これで和漢方の草木を刻んだ。

2代目は丁稚で入店したとき、この薬研で薬草を刻む努力は大したもので、腕と人柄を主人の小西儀助に見込まれて娘婿(養子)となり2代目の小西儀助となりました。
台所でVサインの大阪登文会の青山さん

大正時代の歪みガラス越しの小生

見学会が終わりここで自己紹介です。
佐藤代表理事のご挨拶(日本民家再生協議会)


小生も自己紹介

多くの同志と知り合えて楽しいひとときが過ぎました。

色々とお世話になりありがとうございました。

後記
小西儀助商店は道修町の薬種問屋の原型であり、近江商人の商家の在り方(番頭や丁稚、女中の仕置き)、船場の生活習慣など、大阪商人の生活文化を濃厚に伝える屋敷です。
建物は登録文化財ですが、近年、重要文化財へ格上げされました。
大阪の歴史、文化を大切にするコニシボンド(旧・小西儀助商店)さんにお礼を言って辞去しました。