2025年5月2日 (金)
若きポーランド・・・色彩と魂の詩、1890‐1918
ポーランドの作曲家ショパンが祖国を離れてパリへ移住したのは1830年でした。
1795年にポーランドは国土をロシア、プロイセン、オーストリアに分割占領され世界地図からその姿は消えてしまいました。
それ以降、独立を求めて蜂起や反乱が繰り返しますが、1918年の第1次世界大戦の終結を待たねばなりませんでした。
国を失った自らのアイデンティの拠り所としたのは、文学、音楽や絵画などの芸術でした。古都クラクフの美術学校の校長ヤン・マティコがそのリーダーでした。
「若きポーランド・・・色彩と魂の詩、1890‐1918」
「菊を抱く少女」1894年、オルガ・ボズナンスカ(写真はカタログから)
この絵はボズナンスカの女性らしく優しいグレーシュな色づかいに可憐さがあり心を打つ作品ですね。
「冬景色」1915年、ユリアン・ファワト
「日本女性」1897年、レオン・ヴィチュウコフスキ
1866年のパリ万博以来、日本ブームとりわけ浮世絵が欧州でもてはやされました。ポーランドへもその影響は広がり、自由を求めるポーランドの芸術家はジャポニズムの自由な庶民性にはけ口を求めました。
「スタンチク」1898年、レオン・ヴィチュウコフスキ
国立劇場の道化師スタンチクが、ポーランドの政治家や貴族たちの無力で怠惰のふるまいを憂いて苦悩の表情を浮かべています。
背景にポーランドの過去の英雄の人形があり、現状のポーランドの深刻さを際立たせています。
抑圧された中での芸術活動は民族の魂の輝きがあり感動しました。
とりわけ浮世絵のインパクトには驚きました。
中学時代に通った京都府立図書館です。
懐かしいなぁ…