喜左衛門ブログ:President Blog

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2012年7月20日 (金)

長岡人気質と「河井継之助」

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新潟県の得意先まわりの出張へ出掛けました。
新潟県長岡市の名物は、山本五十六と河井継之助、良寛さんというのが定説です。
長岡駅から空中廊下を3分間歩くと、長岡アオ―レ(市役所と市民広場)に到着します。
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ナカドマ(広場)には女川の漁船の大漁旗がはためき被災地支援のイベントの準備中です。
広場のシンボル、明治44年作の磯那サフラン酒本舗の日本一大きな看板
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長岡市の行財政改革は画期的で、今日も、地方の役所から団体で見学に来ておられました。
空中庭園の横のシースルーの事務所は、森市長の執務室。   
市民から丸見え・・
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市役所全体の「見える化」が徹底し、すべてお客様(市民のこと)本位で、市民窓口では平日は午前8時30分―夜8時まで、土日祝日も午前9時-午後5時まで開いています。
森 民夫市長は、私より1歳若く、東大を卒業後、建設省に入省し、平成11年より郷里の長岡市長。 平成14年の中越(長岡)地震の対処、そして、すさまじい行財政改革で、この5年間で職員10%削減、給与制度改革、指定管理者制度の導入などの合理化で市民サービス向上と経費削減を実行。(達成率141%)
今、森市長は全国市長会の会長をされています。
     

山崎副市長さんを表敬訪問しました。
長岡アオーレと一体化して長岡グランドホテルはあり、このホテルは長岡市が33%出資しており、マリエクラッセは婚礼衣裳室としてお世話になっています。

ホテルの入り口にウエディング衣裳室があります。

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竹之内チーフと鎌田さん  下は、竹之内さんとツーショットで・・・
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私は司馬遼太郎ファンですが、これを弊社のHPで知って頂いていた長岡グランドホテルの神林副社長さんの格別のご好意で、市の関連施設の「河井継之助記念館」を拝観しました。(司馬遼太郎の「峠」の主人公)
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稲川明雄館長さんから、長岡藩の幕末の家老・河井継之助について、ガトリンク砲をはじめ全館で熱い話を聞きました。
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河井継之助は、わずか120石の軽輩ながらも家老に抜擢され、藩の行財政改革に取り組み目覚しい活躍をしました。
やがて、薩長の官軍2万人が進軍する中、義を尊び徳川方に味方し長岡藩をはじめとする同盟軍8000人を率いて戦いました。 
(1868年8月16日 会津塩沢にて41歳で没)
「常在戦場」ほか
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河井継之助の銅像
右手に望遠鏡、革靴の足は大地を踏みしめ、風に向かって遠くを見ている・・・
河井継之助の人格を表している銅像ですね。
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 後記 
長岡に来て、河井継之助の勉強をして、今更ながらに長岡藩の精神がよく解りました。  藩のお殿さんは、三河出身の牧野家で家風は質実剛健、徳川の譜代大名でした。
河井継之助の先祖は、近江の膳所の出身で経綸の才のある陽明学の徒で、彼の生き様を慕う人が多く、継之助ファンは、全国に散らばっています。
この戦いで250年の歴史のある長岡城下は戦火で全焼し、長岡藩は賊軍の烙印をおされ、7万4千石から2万4千石に減封されました。
明治2年、その困窮の中、三根山藩芳の寄贈の「米百俵」を、藩の大参事 小林虎三郎の決断で、教育用につぎ込んだのは余りにも有名な話。
このあと、山本五十六を生み、やがて、アメリカ軍の長岡空襲で全焼します。 
このような過酷な歴史の中、現在の森市政を生み全国の行財政改革の模範となっているのでしょう。
継之助を通じて、長岡人気質を考え、自分の人生を考える実に有意義な機会でした。
本当に、ありがとうございました。