喜左衛門ブログ:President Blog

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2014年3月10日 (月)

東久邇ご夫妻とウエディング談義

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東久邇信彦・吉子ご夫妻には、マリエクラッセ㈱の顧問をして頂いています。
東久邇信彦様は、昭和天皇の初孫にあたられます。
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東久邇信彦・吉子様ご夫妻と、マリエクラッセ(ツカキグループ)の藤木常務ともに、恒例の夕食会をしました。
歴史好きな小生に、色々、優しくお話しを頂きました。

 

東久邇信彦様にお尋ねしました。
◆ お祖父様の東久邇稔彦首相の思い出は・・・
1945年(昭和20年)の終戦にあたり、お祖父様は首相(第43代)に就任され戦後の道筋をつけられ、後を幣原内閣へ引き継がれました。お祖父様の東久邇稔彦様は、久邇家の才能豊かな9男として生まれ、将来を嘱望されて東久邇宮家を創設され、明治天皇の9女の聡子様を伴侶とされました。
お祖父様は結婚後(大正時代)にパリに留学され、自由な民主主義の気風を満喫され、皇族の中で豪放磊落で胆力に富み、皇室・議会・軍部の中で人望が高かったようです。
1990年に102歳で崩御。 「やんちゃなお祖父様でした。」孫の東久邇信彦さんは、感慨深いご様子でした。
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ご夫妻のお相伴で乾杯 

◆ 天皇様からのお手紙
お父上様の東久邇盛厚様は、昭和天皇様のご長女の成子(しげこ)様とご結婚。
かくして、東久邇信彦様がご長男として誕生。
その昭和天皇様より、東久邇信彦様あてにお手紙が来たそうです。
 えっ、天皇様もお手紙を書かれるのですか?  ごく、稀に書かれるそうです。
東久邇信彦様は天皇様の初孫様にあたりますから、天皇はお慈しみが深かったのでしょう。
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ところが、東久邇信彦様はお若いので、返書を書かれなかったそうです。
すると侍従より、「返事がまだないとお上が仰せ」とのこと、返事の督促がきたそうです。
それで、東久邇様は天皇様宛にご返事を書かれて郵送されたそうです。
 えっ、郵便って、天皇様のご住所、お名前はどう書くのですかねぇ???

 

◆ お祖父様(天皇様)の薨去のときは・・・
昭和天皇様が重病の折、東久邇信彦様は、三井銀行の大手町支店長だったそうで、毎日、皇居にお見舞いに行かれたそうです。
それは、何よりの孝養で、天皇様は、誰よりも初孫様のお見舞いが心安らかに思われたでしょうねえ・・・
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◆ 東久邇吉子様は、デザイナーとしてマリエクラッセのご指導を頂いております。
皇居前の「パレス東京」や「三越銀座店」などで、マリエクラッセの衣裳を展開してます。
YOSHIKO  HIGASHIKUNI のオリジナル・デザインは大人気です。
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とても、シルエットが上品で好評を博しております。

 

◆ ウエディングで、新郎・新婦のお母さまのドレスの要望が多いのですが・・・
吉子様は、「留袖だけでなく、品のいいロングドレスが必要でしょうね。 今の日本には、お母さま用のリーズナブルできれいなシルエットのドレスがありませんねえ。」
小生、「それに挑戦したく思います。ご指導ください。新郎・新婦のお母さまは、きっとお喜びになられます。」
さすがに、吉子様、実にセンスと勘が素晴らしいですねぇ。 

 

◆ 弊社の顧問ご就任の頃の東久邇ご夫妻のお写真です。
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ご用事で海外へのお出かけが多く、お忙しくされております。

 

後記
東久邇ご夫妻には、我々にいつも気さくにお話を頂き、永年のご厚情に感謝しております。
皇族の事、伊勢神宮、色々な日本の伝統文化について、また、海外での社交や我々も知らぬ世界について教えて頂き、いつも目からウロコが剥がれる思いがします。
本当に、ありがとうございます。