喜左衛門ブログ:President Blog

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2016年6月10日 (金)

「丸の内」散歩

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東京駅と皇居の間の400メーター位が、日本の金融・経済の中枢、丸の内。
半時間程のゆとりがあったので、丸の内散歩をしました。
東京ステーション    
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東海道本線の開通(新橋―神戸)は1889年(明治22年)。
弊社は慶応3年(1867年)創業、先祖は東海道をテクテク歩いて商売をしていました。
東海道本線開業から25年後の第1次世界大戦が勃発した1914年(大正4年)に東京駅は完成しました。
辰野金吾らの設計で大林組が施工しました。    
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大阪の大林組のチャレンジ精神は大したものです。
東京駅は関東大震災(大正12年)では無事で、第2次大戦の空襲で焼夷弾が直撃、炎上し大損害を被ります。

丸の内一帯は もともと全国の藩邸や奉行所がありましたが、取り壊され官有地となり陸軍の兵舎、練兵場になりました。

陸軍兵営が移転になった後、1890年に三菱の2代目・岩崎弥之助が一帯を150万円で購入し、以来、三菱グループが大地主で発展を遂げました。
丸の内は、北は大手町、西は皇居、東は八重洲、南は有楽町・日比谷の0,8キロ平方キロの地域ですね。

「丸ビル」です。    
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数年前、家内と「丸ビル」の前で待ち合わしたら、家内から携帯電話が掛かり「丸ビルがあらへん(無いの意)」・・
小生「東京駅の真ん前にあるやろ?」・・家内「でも、丸いビルってないよぉ・・・」
そう・・大阪の人は、丸ビルは「丸いビル」だと勘違いをしているのです。
大阪駅の真ん前に吉本さん(通称ケチ本)の丸い円筒形のビルがあり、「丸ビル」(第1ホテル、空港バスの発着場)って言うのです。
なんか、大阪の人の話は、真面目なのかダジャレなのか、よう判らんですね。

南側は、JPタワー(旧・東京中央郵便局)    
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鳩山邦夫総務大臣(鳩山元首相の弟)が、「残せ!」と言い物議を醸しだしたあの古いビルです。

丸の内界隈の新しいビルの1階は、おおむね、ショップかレストランになり、おしゃれなムードが漂っています。    
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いきなりストリート・アート、三菱地所の主催だそうです。 三沢厚彦作の白虎です。    
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三木俊治作の「行列」です。    
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オランダ船「デ・リーフデ号」です。(丸ビル横の像)    
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1600年、オランダ船が豊後(大分県)に漂着し、オランダ人のヤンヨーステン・ファン・ローデンスタインとイギリス人のW、アダムス(三浦按針)が徳川家康に面会しました。
この像は、オランダ王国政府より日本国政府に寄贈されました。

ROLEXのショップ。    
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皇居の緑が見えています。 
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このあたりは、有名ブランドショップとカフェやレストランが増えてきました。

少し歩くと皇居の二重橋です。    
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皇居の正面です。    
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世界中の観光客(タイ、ブータン王国、アラブ、インド、ヨーロッパ人、アメリカ人、中国人など)が沢山来ています。

皇居は伊勢神宮のような清浄さがありますね。    
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後記
丸の内界隈は、東京駅の喧騒さと丸の内の大企業特有の緊張感、皇居の静寂さがあります。
丸の内は、史上最高の駅前立地の便利さ、伝統的な巨大なステータスがあり、一方の過去の無味乾燥さは街中の緑、カフェ、ショップで潤いを増し、とっても素敵な街並みに変わってきました。