喜左衛門ブログ:President Blog

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2016年8月5日 (金)

亀岡は大自然がいっぱいでした。

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先月の日曜日、亀岡に遊びに行ってきました。

丹波(京都府)には、多くの偉人が輩出しました。
●亀岡といえば石田梅岩・・・
1684年に丹波に生まれで、江戸時代に京都で”石門心学”を唱え塾を開き、門人400名にのぼり、商人の支持をえました。
“三方よし”にも通じる商人の倫理観”心学”を説き、我々も大いに共感しております。
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「心学、石田梅岩」・・は、我々の仲間内では有名なのですが、生誕の地、亀岡では意外や意外、知名度が余りも低いのです。
地元の人に場所を石田梅岩の生誕の地を尋ねても、梅岩そのものを知らない・・
私が、「JR亀岡駅に銅像があるじゃないですか!」と言ったら、亀岡の人は「あのチョンマゲの人のこと?」って反応・・(>_<)
亀岡教育委員会、いったい何をしているのですか!
郷土の偉人について、小学校教育をしっかりしてください!!

●亀岡城といえば、明智光秀。
昔の亀山城(今の呼称は、亀岡城)
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光秀は、美濃(岐阜県)生まれですが、天正8年(1580年)に丹波を平定し亀山城(亀岡城)を築き、丹波34万石の太守となりました。
しかしそれの2年後に本能寺の変(天正10年)となりました・・・

亀岡城は、いまでは大本教の教団本部になっています。
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●大本教の出口王仁三郎聖師(1871-1948)の資料館、美術館を見学しました。
王仁三郎(亀岡生まれ)は、強烈な個性と魅力とカリスマ性があり、亀岡城址を買い取り、宗教活動の一環で、昔の城を石垣から再建し信徒のすごいエネルギーで、亀岡城は大本の本部として蘇っていきました。
大正10年と昭和10年に、当時の治安維持法の発動で、教団の幹部、信徒の逮捕、施設の徹底的な破壊が行われました。(石垣もダイナマイトで爆破されました)
戦後、活動が復活し亀岡城も蘇りました。
亀山城の当時の本丸入口です。
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復元された天守石垣
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石垣の下はかつての内堀跡
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城内の植物園です。
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姫しゃらの樹は、屋久島で繁茂していましたね
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お花の天国ですね。

●田中源太郎は戦後の亀岡の英雄で、亀岡銀行(今の京都銀行)、京都株式取引所、京都電燈会社、鉄道(現在のトロッコ電車)など30以上の会社の頭取、社長、監査役をしていました。 府会議員、衆議院議員などを歴任。大正11年に山陰線清滝駅の鉄橋からの脱線の悲劇的事故で69歳で逝去。

その田中源太郎の屋敷が現在の”楽々荘”です。
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屋敷は文化財に指定されおり、大正ロマンに生きた大実業家、政治家でもある田中源太郎の生き様、社交界が感じられる建物です。
今は、登録文化財の会の仲間である中田さんが、レストラン、ホテルとして活用されております。
レストランは美味しくって価格はリーズナブルで地元でも大人気です。
文化財の建物の中にホテル4室くらいあり、是非、家族で泊まりたいものですヽ(^。^)ノ