喜左衛門ブログ:President Blog

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2018年3月26日 (月)

生々居に春が来た(^^♪

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春分の日、ここは京都府の大山崎町・・・
サントリーの“山崎”で有名な山崎蒸留所があり、秀吉と光秀の天下分け目の天王山(山崎の合戦)でも有名な場所です。

この辺りに、モクレンの白い花が咲き誇っています。

ボケの花、

ユキヤナギも・・・

お花がいっぱいある“生々居”です。

4年前、加賀正太郎氏(1888-1954年)の子孫の方から、加賀正太郎氏が昭和8年頃建築した“生々居を“譲り受けました。
この古い山小屋周辺はイノシシが活躍し、生々居の庭にも勝手に侵入し、牙とヒズメで庭を耕しています。きっと地中の根っこやイモを掘り起こしているのでしょうね

生々居の庭には古い灯篭や蘇鉄(そてつ)があり、古式な風雅を醸し出しています。

先週、庭にシダレ桜、梅、モクレンを植えました。

ちっちゃい可愛い桜のつぼみです。

昭和初期のロマンが漂う生々居・・・

当時、加賀正太郎氏はランの栽培の大家で、蘭を写生し有名な「蘭花譜」を作りました。

植物は、写真よりも精密な水彩画の方が、花の生命をよく伝えます。
加賀正太郎氏はモダンボーイで、男の社交場としてゴルフ場を作り(現在の名門の茨木カントリークラブ)
ニッカの竹鶴政孝氏(通称マッサン)の大株主として応援しました。

庭には椿が咲き誇ります。

沈丁花(ちんちょうげ)

すぐ近くの宝寺(宝積寺)の三重塔が見えます。

この辺は、竹藪が多く、筍(タケノコ)の有名な産地でもあります。

お隣の大山崎山荘を尋ねました。

大正時代に加賀正太郎は東京商大(現・一橋大学)を卒業してヨーロッパを遊学し、多くの文物に触れ、帰国後に先進的な実業家となります。
加賀正太郎は、この大山崎山荘を立て社交場としました。

後年、ビール王(アサヒ)、ホテル王(リーガロイヤル大阪)と言われた山本為三郎氏(通称、山為さん)に、加賀正太郎はニッカの株式を譲り、また、死後、大山崎山荘もアサヒビールに委ねられます。
もうすぐ桜が咲くと大山崎山荘の一帯は桜色になり、花が大好きだった加賀正太郎の理想郷とした楽園が出現します。

シダレ桜は開花してきました。(加賀氏の元・邸内で今は京都府の公園になっています。)

後記
・大山崎山荘は現在、「アサヒビール大山崎山荘美術館」として美術品を展示しています。
安藤忠雄氏が設計した「地下の宝石箱」には、モネのスイレンの秀作が展示しています。
この美術館は民芸活動(バーナードリーチ、河井寛次郎など)を応援した山為さんのコレクションだけあって。陶芸から西洋絵画まで充実しています。
・拙宅の山小屋、「生々居」は、この大山崎山荘と同じエリアにあります。
JR山崎駅(東海道本線)、阪急大山崎駅(京都線)から歩いて10分で生々居です。
お車の駐車場も少々あり、桜の季節、新緑、モミジの頃にお越しください。
・近くに、千利休の待庵(国宝)、斎藤道三の油座の山崎八幡、天下分け目の天王山へのピクニック、サントリーの山崎蒸留所、聴竹居など、田舎ながら名所がたくさんあります。
ぜひ、お越しください。大歓迎します!!