喜左衛門ブログ:President Blog

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2020年5月11日 (月)

5月の連休のお家のリラックス

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五月の連休はいつも近江・五個荘の本宅へ帰りますが、
今年は三日月知事(滋賀県)がテレビで怖い顔で「滋賀県に帰省しないでください」と言うので辛抱しました。

大山崎町(京都府)の「生々居」(我が家の山荘)へ泊まりがけで行きました。
生々居の前の公園のせせらぎです。

シャガの花が満開です。

生々居と同じ敷地に長男(喜世志・由貴家族)が住んでいます。
家族で一緒に散歩しました。(隣地の「アサヒビール大山崎山荘美術館」が見える)

喜子(よしこ)は生まれて早や半年がたちました。

我が家(生々居)の入り口の古い灯篭です。

庭への入口です。

生々居(山小屋)です。

加賀正太郎が設計した昭和初期のアンティークな建物です。

暖炉がスイスを思い起こさせます。

この暖炉、焚き木を燃やすことができますが、今はガスストーブにしています。

お隣の宝積寺(724年、聖武天皇の勅命で行基が建立、真言宗、通称は宝寺)の山門です。

秀吉が作ったという一夜の塔です。(重要文化財)

宝積寺の本堂です。

本堂の十一面観音像、閻魔さんらが重要文化財に指定されています。

ここに天王山への登り口があります。
そう天下分け目の山崎の合戦(1582年)があった古戦場跡まで山中を歩いて20分です。
本能寺の変(6月2日)で信長が殺され、明智光秀の三日天下となり、
わずか11日後の6月13日、天王山での山崎の合戦で光秀は破れ、秀吉が天下取りにまっしぐら・・・

公園の池があり、整備された自然豊かな歴史ゾーンですね。

連休後半は住まいの山科界隈を散歩しました。
次男(大二郎)の家に遊びに行きました。

山科の近所の散歩です。
拙宅の地名な御陵(みささぎ)といい、天智天皇陵があります。

天智天皇(626-672年)の日時計です、

天智天皇の生涯は波乱万丈で、大化の改新、白村江の戦い、防人の設置、
遣唐使の派遣、近江大津京への遷都、漏刻(ろうこく、水時計)の設置、崩御後には壬申の乱がおこる。

向かいは緑の小径で緑豊かな遊歩道です。(昔の京阪電車の軌道敷。今は地下鉄になった)

そのお隣は、旧・東海道の街道筋の古民家が並びます。

小生は近江の五個荘で育ちましたが、息子達は山科で生まれて育ちました。
小生の故郷は、五個荘、京都、大阪、そして山科ですね。
育ちの五個荘、商いの京都、青春の大阪、住まいの山科・・どれも大事な故郷です。
とりわけ山科は色々な歴史が地層のように重なり、由緒しい土地柄です(^_-)-☆