喜左衛門ブログ:President Blog

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2021年1月6日 (水)

2021年、ツカキスクエアのミニ・ギャラリー

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お正月気分で、弊社にあるアートをすこし紹介します。
京都は文化、工芸、アンティークな町、もう一つの顔はハイテク、金融の街でもあります。
これらが混然一体となって、京都は歴史的なアート空間でしょうね・・・
ではツカキのミニミニ・ギャラリーをご案内します(^_-)-☆

◆ ルネ・ラリック(1860-1945)の作品の色々・・・
・新年のニューフェイスは、ルネ・ラリックの「エスカルゴ」です。

1920年製のオパルセントの花瓶でお気に入りの逸品です。

・「スーザン」、ルネ・ラリックの作品が続きます。

この作品を見るたびに、ジュディ・オングの「魅せられて」の曲、「南を向いている窓を開け・・・♬」が頭の中で始まります。歳だなぁ。。。

・ラリックのカクテル・シェイカー「トメリー」1920年製

手前はトップ、後はストレーナー、右はボディです。

このタンブラーでカクテル作るといかがでしょうか・・・
最高でしょうねぇ・・・

・「鳥と葡萄」1927年製

オパルセントのもっともラリックらしい作品です。
ルネ・ラリックは女性の好みの本質をよく知っていますね(^_-)-☆
小生は、ラリック(小生の88歳年上ですが・・)と波長がよく合うのです。

◆ 有田焼の磁器です。
・有田焼の14代目の辻常陸さん(つじひたち:1909-2007)の象の香炉です。

辻家は白磁の発祥の地である佐賀県の有田で350年続く名門の窯元。
「禁裏御用窯元」として皇室の専属の仕事のため、柿右衛門のように有名でありません。
しかし、創作意欲は強く数々の名品を生み出した。

・有田焼の主役、14代目、酒井田柿右衛門(1934-2013)の「濁手三方割花文・蓋物」

古くからの柿右衛門様式の“濁手”(にごして:色絵の下地の白磁部分をミルキーで乳白色の艶消しにする)の技法を祖父と父が蘇らしたのを14代目は学んでいきました。
父の13代目の逝去で、1982年(48歳)に14代目を襲名。2001年に色絵磁器で人間国宝(67歳)になります。
陶芸界の超名門の14代目の柿右衛門は正直な方で陶芸活動に苦悶の日々があったでしょう。

14代目柿右衛門さんに、生々しい思い出があります。
大阪の百貨店での柿右衛門展で美しい大きな壺を背景に開幕スピーチをされました。
「磁器には綺麗なものと美しいものがあります。たとえば、この壺は光沢があり綺麗ですが、美しさは色絵を引き立たせる濁手の白磁の魅力にはかないません。」
最高額の看板作品を柿右衛門さんは気に入らぬらしくVIP客様を前に謙遜(くさす)されるので外商マンはズッコケました。
14代目の誠実な人柄で、14代目さんとご一緒に撮影を欲しい方が続出し、柿右衛門展は大成功に終わりました。
元旦のBS番組で「15代目柿右衛門さんが欧州の美術館への旅シリーズ」を視聴しました。
欧州の美術館では、カキエモンというと「17世紀の貴重な磁器の品目名」で、生きた15代目のカキエモンが登場したので、驚嘆の目で天皇陛下を迎えるような接し方でした。
良識と苦悩の14代目、一方、おおらかな15代目は人間国宝の獲得が地元から待望されています。
キザエモンもカキエモンみないになりたいなぁ・・・・

・井上萬二さん(1929-)の「白磁、百合口花瓶」(通称:宝袋)です。

萬二先生は柿右衛門工房で修業をし、ロクロ師の奥川忠右衛門に7年間学ばれました。。
29歳で佐賀県窯業試験場の技官となり、1973年44歳でアメリカのペンシルベニア大学で陶芸の教鞭をとられました。ついに1997年(68歳)に人間国宝へ。
今年91歳で、いまだに創作を続け、実にタフで前身向きな逞しい陶芸家です。

井上萬二作「白磁緑釉、夕顔彫文面取」

息子と孫が陶芸家として活躍中

我が家の食卓にある「親子三代の記念のモーニングカップ」

左から萬二(91歳)、康徳(62歳)、祐希(32歳)制作

◆清水焼の色々
・5代目の三浦竹泉(1934-)の「桃の水滴」

この竹泉さんは、1972年に38歳で襲名しました。
京焼の歴史、作品を研究し、色絵や染付、南蛮人の絵柄などにも挑戦し、実な多彩は作品を作っています。
京焼の魅力は、型にはまらず自由闊達に色々な技法に挑戦するところにあります。
竹泉さんは学究肌で実に品格のある心の優しい陶芸家ですね(^^)

・幹山伝七作の祥瑞(しょんずい)の香炉

共の蓋(ふた)と銀のホヤも作ってもらいました。
年末の喜左衛門ブログで登場した幹山(かんざん)さんの作品

◆備前の土物の壺です。
藤原雄(人間国宝)さんの「備前線紋大壺」

ちょっと偏壺であります。
6階のエレベーターホールにあり、西洋人がくると不思議に絶賛します。
東洋人にはあまりウケませんが・・・
父・藤原啓(人間国宝、1899-1983)の長男として雄(1932-2001)は生まれたが、雄は生まれながらに視力が右目0.03、左目0というハンディがありました。
しかし、啓は雄を健常者扱いにこだわり、雄は非常に苦労をしました。
雄は大変な努力家で挑戦心にあふれ、ついに64歳で親子2代の人間国宝になり68歳で急逝しました。 雄の息子の藤原和(1958-)も陶芸家として活躍しています。

後記
伝統工芸の人間国宝は、文科省が認定する需要無形文化財保持者の事です。
何代も人間国宝が続くと、子孫は非常なプレッシャーで期待の重圧の中での仕事をします。
日本国宝の認定条件にある「伝統工芸の約束事(制作のルール)になかに独創的な技法の確立が必要」は非常に矛盾した難しい要件ですね。
歌舞伎の名跡も同じことで、市川団十郎(1946-2013、市川海老蔵の父)は12代目を襲名されました。
成田屋の屋号で十八番(勧進帳の弁慶など)があり、これは非常に厳しい修行の道ですね。
役者ですから優等生では凡人で、華がありません。
荒事をやる役者なら、野性味が必須でしょうが、歌舞伎界の御曹司では無理があります。
息子の海老蔵も色々な苦悩中に自分の芸磨きと役作りがあるのでしょうが・・・