喜左衛門ブログ:President Blog

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2021年7月26日 (月)

ツカキ・グループの戦後の専務取締役、列伝

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塚喜商事㈱は、慶応3年(154年前)に創業し、現本社地に移転したのが明治28年(今から126年前)、ここに現本社ビルを建てたのが昭和47年(今から50年前)です。
代々の別家(大番頭、幹部社員)の顔ぶれ

さて、第2次世界大戦が終戦し、兵役から帰還した父、そして3年後に生まれた小生は、戦後76年間を半分づつ父子は社長として駆け抜けました。
戦後の復興期から数多くの社員に感謝を込めて、戦後の弊社の専務・列伝を紹介します。

当時、「塚喜の専務」といえば山本繁三です。(以下、敬称略)
◆山本繁三(専務在位1949-1978)

明治45年に滋賀県栗東町に生まれ、大正15年に当社に入店。
昭和12年に福岡出張所に勤務。その後、兵役で満州へ出征し復員、再びビルマへ従軍し終戦でラングーンに抑留。
おりしも5代目喜左衛門(父)は長い兵隊生活(6年半、中国を転戦)から一足早く帰還。
命からがら帰国した山本繁三は、立ち上がった店(塚喜)へすぐに復帰。
昭和24年に弊社は法人改組し、社長(父)、山本繁三専務、山本五一郎常務(下記)の三役と兵隊から復員してきた社員らの陣容が固まり、戦後の再スタートを切りました。
山本繁三は円満な人柄で、専務を30年間勤め上げ、延べ60年間勤務した大功労者です。

塚喜の昔の創業の頃、明治4年に2年間の渡米欧した岩倉使節団(大久保利通ら107名)の故事・・・を、父は思い起こし、昭和30年頃、2カ月間、父と平阪部長は業界使節団とともにアメリカにわたり多くを吸収しました。
昭和43年(私の20歳)、父の命令で小生と山本専務は業界使節団と一緒に1か月半、アメリカを勉強をしました。山本繁三と珍道中で、NYの国連、銀行、丸紅などを訪問しました。これは小生にとり後年、NYでの財務、NYのビルの取得に生きてきました。
私と家内の結婚披露宴の司会は山本専務が務め、多くの御取引先を招き大賑わいでした。

◆山本五一郎(専務在位1978―1987)

大正10年に滋賀県栗東町に生まれ、昭和10年に入店。
昭和17年に海軍に徴兵、戦後、帰還し店に復帰。昭和24年より30年間、常務取締役として「呉服の現金卸の塚喜」の営業責任を果たす。戦後のヤミ経済の社会で、塚喜は近江商人らしいやり方で急成長を遂げます。山本繁三の退任のあと専務を引き継ぎました。
海軍仕込みの「指差、呼称、確認」の厳格な営業指導で、戦後のヤミ時代からオイルショック(1970年代)を乗り切りました。
1984年に、小生は6代目喜左衛門と襲名し、父は会長となり山本五一郎専務は厳格で小生も随分、鍛えられました。昭和の最後のバブル時代(~1988)を迎えた頃でした。

◆磯部八郎(1987-1992)

昭和2年、滋賀県五個荘生ままれ、昭和23年に入店。 遠州・尾州・足利の織物産地を担当、昭和40年より山本繁三専務から労務を引き継ぎ、労働組合とも対峙。
山本五一郎専務の後を受け、専務に就任。

厳格な会長(父)と若社長(小生)の実権の交代期で、生意気な小生を教育して頂きました。
磯部専務は世話好きで皆から慕われ、退職後も長老格でOB,OGの面倒をみました。
昭和から平成に変わり、日本のバブルがはじけ株価は大暴落した頃。三和銀行の指導で、父の自社株を息子(小生)がすべて買い取り、事業承継は完了しました。

◆平阪喜太郎(1992―1998)

昭和8年、和歌山県生まれ。昭和27年に入社し経理端を歩む。
5代目喜左衛門(父)は京大・法科卒ですが、父は6年半の中国での軍隊生活で後半は軍経理を担当、師団本部から「恩賜の銀時計」を頂いた腕利きで「塚喜の経理」を鍛えました。
父は、高度成長の波に乗り、「近江商人の出店経営」の定石で、札幌から福岡まで5支店を構え、平阪専務は父の片腕として永年、経理面を支えました。
昭和60年に、小生は6代目喜左衛門を襲名し、平成4年に平阪常務を専務に抜擢した時、父(会長、当時84歳)は、大変喜んでくれました。
平阪専務は「至誠一貫」の信条とおり実に誠実な仕事ぶりでした。

1995年に阪神大震災が起こり、3年後にはアジア通貨危機が来襲しました。
「呉服の現金卸」の時代は過ぎ、2000年には東京の3支店をまとめてツカキ東京㈱へ統合しました。同年に父は大往生しました。(91歳)

◆吉岡宏三(2002―2005)

昭和16年、滋賀県秦荘町生まれ。昭和34年入社以来、京友禅、西陣織、十日町、関東織物を担当。昭和56年に福岡店が開店の初代店長として15年間勤務、夫唱婦随での勤務ぶりは有名。平成10年に常務、平成14年から専務に就任。

当時、室町の呉服問屋街は倒産旋風が吹き荒れ、大変な時代となりました。
2001年、福岡店と札幌店は本社の営業部に統合(廃店)しました。
父は、高度成長に乗り身体を張って支店を沢山作り次々とビルを建設しました。
小生は、父の各支店を統合し、関連業種のM&A&会社の新設(8社)、ビルの新築&買収をしてスピードアップしました。吉岡宏三は、父の時代と現代を経験した世代と言えましょう。昔からハンサムで歌が上手で、退職後はカラオケの地域のリーダーとして頑張っています。

◆山口安紀(2005―2011)

昭和24年、京都生まれ、昭和48年に入社し、東京店で経理を経験し、京都本社に戻ってから京染、西陣織を担当し活躍しました。
本社に戻ってきたときは、呉服の現金卸はやや低調となり、やがて総販部という攻めの営業部隊で頑張りました。
山口専務は、お客様本位で率直な物言いは皆からの信頼がありました。
平成17年から吉岡専務の後を受け専務に就任、リーマンショック、東日本大震災をくぐり抜けました。専務退任後は、ツカキ・グループの㈱京都和装の社長として腕を振るいました。
退職後は、多くの孫に囲まれて地元の立派なお役を色々引き受けて「世間よし」を実践中。

◆工藤吉訓(2011―2019)

昭和29年、北海道生まれ、昭和53年に入社。
昭和50年に現社長(小生)が起こした塚喜毛皮㈱(現・ツカキ㈱)は大いに発展しました。 彼は、ツカキ㈱の営業で活躍し、毛皮・宝石の商品統括、平成16年にツカキ・グループの常務としてシステム統括として腕を振るいました。
呉服系が続いた専務職ですが、彼は毛皮・宝石で育ちましたが、平成23年に山口専務のあと専務に就任。すぐに呉服の勉強をして大いに貢献しました。
近江商人の塚喜にあって、北海道生まれの彼はストレートで正論を好み、小生の欠点をズバリ言い、得意先や社員からのクレームをそのまま私に伝え、小生にとって実に良薬でした。
時代は安倍首相になり、ツカキグループは、子会社の吸収合併、さらにM&Aを進めました。
工藤専務は、几帳面でまっすぐな筋を通す性格は、皆から信頼されました。

◆現在の専務は、高松哲郎(2019―現在)です、
2019年8月に工藤専務の後を受け、専務に就任、翌年春からコロナ禍となり、はや1年半。
これからが腕の見せ所です。

後記
オリンピックの幻の入場券です。

8月5日、武道館での空手の決勝戦
無観客は滅茶苦茶、残念です”(-“”-)”
頑張れニッポン!(^^)!