喜左衛門ブログ:President Blog

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2021年9月6日 (月)

別家4人衆のよもやま話

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毎月恒例の朔日(ついたち)の別家会(9月)は、コロナ自粛で少人数でしたので、しんみりと昔のよもやま話となりました。
皆、若返って20歳代にもどって楽しいひとときでした。

◆多屋貞治さん。昭和9年(1934)和歌山生まれ。87歳

昭和28年に入社し、昭和36年に八王子支店(支店1号店、東京)開設の初代支店長として活躍。昭和50年設立のツカキ㈱[毛皮・宝石]の取締役部長として貢献。信条は「進取、誠実、開拓」にふさわしく発展する部署を担当。

多屋さんの若い頃、先代の社長(5代目・喜左衛門)から「呉服の現金問屋は資金回転がいいから、無限の商いができる。(手形取引は資金繰りの限界がある)どこまでも可能性がある。あんたも27歳で一人前や。八王子に現地法人を作り店長にするから、独立した気概で頑張ってみるか?」と言われました。

血の気の多い多屋さんは大いに発奮して、60年前、店長となり日曜日も必死で頑張って八王子店を優良な店にしました。
そんな60年も昔の思い出、多屋さんはすっかり青年に戻り、高揚して話の花が咲きました。

◆武中清嗣さん。昭和12年(1937)近江八幡生まれ。84歳

昭和30年に入社し、足利・伊勢崎織物を担当。長らく白生地(きものの絹織物の反物)を担当し、きものの最盛期で白生地の(同業)仲間売りで勇名をはせた。 あと色々な分野を経験。

武中さんの談・・・田舎育ちで、おまけに高校で柔道部で「エイヤァ!」とやっていたので言葉が荒くて随分叱られました。三度の飯では足りずに台所で握り飯をこっそり作ってもらって腹を満たしていました。

白生地(絹の反物)を担当して、昭和38年(1963年)の相場の時は、安く売ってえらく叱られました。(売値では仕入れられない位、高騰した)
近年、すっかり難聴の武中さんですが、実に雄弁に語りました。

◆橋本紀雄さん。昭和15年(1940)滋賀県甲賀市生まれ。81歳

昭和33年に入社、経理畑を一貫して歩く。平成10年に平阪専務の跡を受け取締役経理部長へ就任
博識で飲み込みが早く人柄の良さで皆に慕われる。平成17年には、京都和装㈱の取締役部長として活躍。

経理で手堅くやっているつもりでも失敗談は色々とあり今も冷や汗が出ます。
国税局が来たときは、当時の平阪部長と一緒に痛いところを突かれて困りました。

ツカキ・グループ入りした京都和装㈱の経理役員として、松尾社長と早田専務と一緒に仕事をしたのはいい経験になりました。

◆森俊彦さん。昭和15年(1940)岐阜県各務原市生まれ。80歳

昭和34年に入社し、八王子支店、札幌支店に赴任、本社で十日町産地や裏絹担当をする。平成12年に60歳で取締役に就任。バブル経済後に頻発したきもの破綻商品を扱い「カミソリの森」として注目を浴びた。おおらかなで思いやり深い人柄で多くの信頼を得た。

岐阜から出るとき駅のプラットホームで珍しく母親が最後まで見送ってくれました。
得意先に「おみゃーさん」(おまえさん、あなた)と言って笑われました。
おまけに字が汚くて出荷部で送り状を筆で書いていたら先代の社長がじっと見ていて、字の稽古をさせられました。

支店も北海道や八王子も経験し、沖縄の開拓をしました。
尾州産地のウールのきもの、京染の絵羽もの、裏絹の商品担当を経験しました。
室町問屋に倒産旋風が吹き荒れた2000年頃に、現在の社長と一緒に活躍したのが懐かしいですなぁ・・・
塚喜での最大の収穫はいい嫁(塚喜の気立てのいい美人社員)をもらったことです。
近年、町内会長をさせてもらいましたが、嫁さんのおかげで無事に務まりました。


さすが森さんの人柄のおかげで、座は和やかに盛り上がりました。

歳をいくほどに、青春時代は宝ものですね!(^^)!
来月の別家会(永年勤続社員)は、お彼岸のお墓参り、
いつも20~30人が集まり、功労者の碑へお参りします。(10月23日(土)午後3時より)