喜左衛門ブログ:President Blog

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2021年12月10日 (金)

金沢の国立「工芸館」へ行ってきました。

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先週、土曜日に北陸に用事があり夕方に念願の金沢にある工芸館を訪問しました。
企画展のタイトルは、“「十二の鷹」と明治の工芸”
・・・万博出品時代から今日までの変わりゆく姿・・・
「十二の鷹?」意味不明ですが行くことにしました。
東京の国立工芸館は皇居の北の丸公園にあったのですが、文化施設の地方移転で金沢市が立候補して誘致に成功しました。
場所は金沢城、兼六園があるところで最高の立地ですね。

伝統工芸品というと京都が本場ですが、石川県の伝統工芸にかける情熱は素晴らしく、保存振興策のエネルギーは京都を上回っています。

◆さて、伝統工芸品は、江戸時代まで大名や町人文化の中で重要視されましたが、明治になり一挙にスポンサーを失い斜陽産業になってきました。
ここで工芸職人の「必死に生き抜くストーリー」が始まります。
維新直前の「1867年パリ万国博覧会」から、日本政府はいかに日本文化の優位性をアピールするかを考え、日本独自の伝統工芸に超絶技法を駆使し外国人を驚かす作戦に出ました。
ここから明治の伝統工芸の「装飾過剰、技巧主義、異国情緒」の必死の展開となります。
駒井音次郎(1842⁻1917)の「鉄地金銀象嵌・人物図大飾皿」

七代 錦光山宗兵衛(1888-1927)の「上絵金彩花鳥図・蓋つき飾壺」

金森宗七(1821-92)の「花鳥文様象耳付大花瓶」

◆日本の輸出工芸とジャポニズム
七宝焼は金属の措辞に釉薬を焼き付けたもので、尾張地方から京都に移りました。
並河靖之(1845-1927)の「花文蓋付飾り壺」

欧州でナミカワは有名なブランド品となりました。

◆伝統的なものに根差しながら、西洋人の視点で新しい技法を取り入れ、挑戦したいった先人の作品が今回の代表作「十二の鷹」です。
鈴木長吉(1848-1919)の「十二の鷹」

大名の趣味の鷹狩りは西洋の狩猟に通じ、ひとつひとつの鷹を肖像のように精密に作りました。

清朝後期にみられる製法で、釉薬をかけて焼成したあと再度釉を用いて透明感のある美しい作品を作りました。
初代・宮川香山(1842-1916)の「色入菖蒲図花瓶」

◆色々な分野で作品の芸術性が問われ先鋭化していきました。
平田郷陽(1903-1981)の「洛北の秋」

二十代・堆朱楊成(1880-1952)の「彫漆六華式平卓」

日本の伝統工芸が明治維新の西洋文明の洪水のような荒波に、苦闘し生き残りをかけ、欧州の万博の中で活路を見出し、変容していった様が良くわかりました。
明治維新の封建時代が崩壊し文明開化した時の変容は、戦後の日本の西洋化などとは比べ物にならない激変でした。
平安時代からの日本の美や文芸の系譜の中で生き続けた京都の工芸の特殊性に対し、東京など各地域の苦悶ははなはだしいものがありました。
京都の伝統工芸は決してあぐらをかくことなく、もっと伝統技術を磨き、デザイン的な進化を遂げ、工芸品の新しい用途を見出して我々の市場(未来)を開いていかねばと思いました。