喜左衛門ブログ:President Blog

喜左衛門ブログ:President Blog

2022年8月29日 (月)

奈良の大仏さんとシカさん・・・・その2

LINEで送る

奈良旅行のブログの最終回、少々お付き合いください。
奈良の2日目は東大寺のすぐ近くの新薬師寺に行きました。
丁度、日経新聞の朝刊の小説「ふりさけみれば」にて、聖武天皇が(701-756)近江の紫香楽に遷都して大仏を建立する計画が藤原一門の謀略で中止にとり、聖武天皇は上皇になられ新薬師寺に入寺されました。(新薬師寺は光明皇后が747年に創建)
今回のブログの主役は聖武天皇ですね。

新薬師寺の本堂(国宝)

新薬師寺は薬師如来坐像(国宝)を中心に、十二神将(国宝)が守護しています。

香薬師堂

本堂の剥落した十二神将のお姿を、コンピューターで昔の色彩を復元しました。

驚くような色鮮やかさです(@_@)

石仏群

奈良公園は子鹿が沢山います。

余りの酷暑で水に浸かって涼んでいます・・・

◆酷暑の中、奈良国立博物館に私も涼みに(?)入館しました。

「中将姫の當麻(たいま)曼荼羅」の企画展でした。

奈良や大阪で人気の「當麻寺曼荼羅」は江戸時代に数多く復元されました。
刺繍、つづれ織り、西陣織など巨大な曼荼羅が作られ寄進されました。

東大寺の大巨人の仁王さんが展示されています。

博物館の外は灼熱です・・・

◆いよいよ本命の東大寺です。
東大寺の開基は聖武天皇です。
南大門(国宝、奈良時代に建築、再建1199年)

運慶、快慶の力作、仁王さんです(国宝、鎌倉時代)

・東大寺金堂・大仏殿(国宝)

大仏殿は758年に創建され、南都焼き討ちで焼失(1131年)し重源の勧進で復興(1190年)。
その落慶法要には源頼朝も列席しました。
1567年にキリシタン信徒の放火(ルイス・フロイスの手紙)で焼失し、江戸時代(1709)に再興しました。

廬舎那仏像(大仏様、国宝)

高さ15m、お顔の幅は3.2m、お手は2.5mと巨大な大きさです。

聖武天皇が発願され、752年に開眼供養が行われました。
法要には、聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇など1万数千人が参列しました。
のべ260万人が工事に関わり総工費は現在のおカネで4700億円かかったと言われる国家
事業でした。

池から南大門、仏殿を望む

・お水取り(修二会)で有名な二月堂(国宝)

・三昧堂(四月堂)

・法華堂(通称三月堂。733年、聖武天皇により創建、国宝)の内陣の仏像は・・・
不空羂索観音(国宝)

金剛力士、梵天、持国天(すべて国宝)


母校の同窓の橋村公英別當(東大寺住職224世)の念願である東大寺の復興・・・元々の大伽藍
(寺院構成)を復元・・・は、歴代別當の「最大の使命」という覚悟はよく判ります。

興福寺にやってきました。
天智天皇が669年に創建された。
興福寺は南都焼き討ちや何度の戦火で焼失し何度も再建されました。
1868年からの廃仏毀釈で6つの坊はすべて廃止され、僧は全員自主的に還俗しとりあえず
「新神司」として春日大社に務め、興福寺の境内は奈良公園となりました。
1881年から再興が認められ復興が始まり、1998年には世界遺産として登録されました。
東金堂(国宝)

五重塔(国宝、1426年再興。高さは50.1m)

中金堂(創建717年、2000年に再建)

小生の旧知の畠中光享画伯は、中金堂の法相柱に十四名の高祖を描かれました。
これは僧籍のある畠中先生には「至福の時」だったと思います。

・興福寺の国宝館にある阿修羅像(以下、パンフレットより)

三面六臂のお顔

実は、「西陣織あさぎ美術館」のスーパースターは、阿修羅像の西陣織の掛け軸です!(^^)!

1泊、お世話になった旅館、「四季亭」の玄関

春日神社の横にある大変、いい旅館でした(^^♪
奈良を後にして京都に帰りました。

後期
奈良に来るとインド、中国、さらにペルシャからシルクロードの文化を強く感じます。
文化や宗教は、政治に翻弄され自然の災害で寺社は焼失、破壊されます。
しかし、寺院・文化を支えるパワーは千年ものリジェリエンス(復元力)を発揮します。
日本の伝統の力、民衆の力はまさに敬服すべきパワーがあり、我々も負けずにその力を継承していかねばなりませんね。