喜左衛門ブログ:President Blog

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2023年1月23日 (月)

加賀友禅女流作家の華やかな新年会

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昨年7月に石川県金沢市にて、第40回 加賀友禅女流作家競技会が開催され、沢山の秀作が出品され多くの賞が授与されました。(主催:京都和装㈱)
半年後の本年1月、受賞された作家さんの恒例の京都新年会です。
場所は、京都の清水(きよみず)にある300年の老舗料亭の「はり清」です。

左から由水十九先生(審査委員長)、松島由美先生、形部さが美社長 、中正享子先生、西村様

左から高木次長(京都和装)、矢花博呂美先生、小生(京都和装㈱社長)、白井常務(京都和装)です。

実に美味しい「はり清」の京料理です。

作家の先生方から、近況やご意見を述べられました。
松島由美先生は、「人との出会い、美しいもの、音楽で心に刺激を得て、加賀友禅の画想が浮かび、筆が生き生きとして進みます」と仰いました。

中正享子先生は、先代の由水十九先生の内弟子で思い出を語られ、当代の十九先生はまだ中学生だったそうです。

矢花先生は加賀友禅のシンフォニー部門(伝統にとらわれない分野)で優秀賞をとられ、その時の作品で「雨を線で表現する」について話題になりました。
小生は、「浮世絵」で雨足の強い雨を斜めの線で表現・・・これは150年前の欧州の画家を驚愕させた浮世絵流の表現方法でした(欧州の雨はモヤで表現した)・・・・と申し上げたら、日本画独特の線表現の巧みさの話になりました。
楽しいひとときでした。
「はり清」の前で記念撮影です。

清水(きよみず)は清水焼の窯元が密集し、「はり清」の近くにある陶芸の「河井寛次郎記念館」へ行きました。

河井寛次郎(1890-1966)は島根県安来で生まれ、東京工業大学の窯業科で学びました。

通常、陶芸家は師匠につき陶工として育っていくのですが、河井寛次郎は中国などの陶磁器を研究し、後輩の濱田庄司らとともにやがて民芸活動を展開します。
清水の工房兼自宅(記念館)は、河井寛次郎の生き様がひしひしと伝わってきます。

河井寛次郎の父親は大工でしたので、自分の自宅の家具や椅子、置物などはすべて河井寛次郎の手作りで彼の美意識にかなうものです。

形部社長も河井寛次郎の世界で瞑想をされていました。

河井寛次郎の作品

実際に寛次郎が使っていた窯

壮大な登り窯です。


火の神様が窯に宿り、火と土の恵みで陶磁器が生まれます。
加賀友禅の先生方は、真剣な表情で河井寛次郎の仕事場の空気感、世界観に浸っておられました。

土と火の自然を相手に格闘する窯場では、神棚やお地蔵さんがあり敬虔な祈りを捧げます。

見学中の矢花先生です。

石彫りの招き猫

お地蔵さん

素晴らしいひとときでした。

「河井寛次郎記念館」は京都登録文化財に指定されており、河井館長(河井寛次郎の孫さん)は京都登文会(小生は会長)の重要メンバーの一人で、我々の仲間です。
多くの貴重なインスピレーションを有難うございました。

先生方は、「西陣織あさぎ美術館」へ立ち寄られ鑑賞されました。
まさに加賀友禅は「師匠から受け継がれる伝統の個人技」、西陣織は「長い伝統と分業のチームプレイで成り立つ分業の集団技」です。
きびしく孤独な加賀友禅師からすると、西陣織は「名門サッカーの華麗なるプレイ」のようで、友禅とは異なる織物の職人技の世界にとても感慨深げでした。

美術品が大好きな由水十九先生は、弊社の応接間に飾っている美術品を一つ一つ手に取り、幸せそうにコーヒーを片手にアート談義となり、女流作家の先生方といい時間が流れ、実に楽しいひとときでした。
はるばるご遠路、ありがとうございました。