喜左衛門ブログ:President Blog

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2025年2月5日 (水)

追憶・・・昨秋の美術展「巨匠たちの学び舎」

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京セラ美術館の偉容(京都市美術館)

◆京都市美術館は、京都市民の寄付によって昭和8年(1933)に東京都美術館についで公立で2番目に建築されました。
京都ミュージアムズ・フォーの中の一つです。(京都国立博物館、国立近代美術館、京都市美術館、京都府文化博物館)
2020年に京セラが50億円の支援をして、50年間のネーミング権を得ました。
おかげで施設が見違えるように拡充され、クラッシックからモダンアートまで幅広い企画展がいくつも同時開催されています。

◆もうひとつ京都が誇る芸術系の機関として、京都市立芸術大学があります。
日本最古の芸術系大学で明治13年(1880)に創立されました。
創立当時は狩野派や大和絵の絵師が先生となり、西洋画が始まり、さらに陶磁器、漆工芸、染織など工芸分野が付け加わりました。
さらにデザイナー、音楽、現代美術など多くの芸術分野が充実していきました。
女性初の文化勲章の上村松園、現代美術の草間彌生、指揮者の佐渡裕、衣裳のワダ・エミなど、文化勲章16名、芸術院会員24名、人間国宝10名を生み出しました。
現代では任天堂やソニーのゲームキャラクターデザイナーも多岐にわたります。

◆京都市立芸術大学創立145周年の「学び舎の巨匠たち」、つまり芸術大学の同窓会展が京都市立美術館で開催されました。

★竹内栖鳳(1846-1942)、京都画壇の大巨人
京都画学校(京都市立芸大の前身)を1889年に修了し、後年、文化勲章の第1号、レジオンドヌール勲章を受けました。
「獅子巌壁」(1904年、竹内栖鳳)

1900年(パリ万博)に渡欧した折に動物園で写生しました。
竹内栖鳳は戦前の美工、絵専のおける教員の中心となり大活躍しました。

★「ピアノ」(1926年、中村大三郎)

中村大三郎(1898‐1947)、西洋のピアノと日本の振袖の対比が鮮やかな作品。
大三郎の妻・都由子がモデル。振袖の吉祥文様に葡萄、桃、オシドリなど細部にわたり丹念に描きました。

★「山上楽園」(1922、山元春挙)

山元春挙(1871‐1933、大津市生まれ)、五個荘の小杉家に養子に行くが復籍しました。
モダンな彼は登山を好み、白馬の風景を描きました。

★「髪」(1911年、土田麦僊)

土田麦僊(1887‐1936、新潟の佐渡に生まれる)は竹内栖鳳、ルノワール、ゴーギャンに強い影響を受けました。
1911年に絵画専門学校(京都芸大の前身)を卒業、小野竹喬らと活動。
本作について教員の竹内栖鳳は「女の顔よりも髪を撫でつけている手に官能的な女性美を感じた」と称賛しました。

◆「豹」(1917年、稲垣仲静)美工(芸大の前身)の卒業制作の作品

稲垣仲静(1897‐1922、京都生まれ)は克明な自然描写や官能性、凄みを表現する作家として注目されたが早逝しました。

100年くらい前の絵画専門学校の制作風景と制服

京都市立芸術大学の沿革

芸大の楽しい壮大な同窓会展でした(^^♪
京セラ美術館の前は京都国立近代美術館です。

後記
拙宅は京都の美術館エリアの岡崎地区に隣接しており(粟田口)、歩いて5分間の距離にいくつもの美術館が存在します。
京都市美術館と京都市動物園は京都市民の高齢者は無料(一般展のみ)!(^^)!
京都の山科から粟田口へ4年前に引っ越し実にラッキーでした。(山科は子育てに便利で、学校、病院、スーパー、ホームセンターがたくさんありお世話になりました。)
季節のいい時期にお越しくださいませ。