喜左衛門ブログ:President Blog

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2025年2月10日 (月)

「近江・日野商人の日」が2月5日と制定されました。

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2月5日に京都からJR東海道本線で20分間の草津駅に行き、そして草津線で貴生川駅(きぶかわ)さらに近江鉄道に乗り換えます。
通称、「ガチャコン」と呼ばれる近江鉄道です。

2両編成ですがガラガラで、風景は原野なのであります。

そして日野駅に到着しました。京都を出発して1時間半かかりました。

滋賀県の東の山間部にある日野町は人口2万1千人の超ローカルな伝統の町なのです。

近江商人の発祥の地として有名なのは八幡商人、日野商人、五個荘商人などがあります。
「近江日野商人の日(2月5日)制定記念シンポジウム」が、わたぬきホール(町民会館)で開催され、地元民ら200名位が結集されました。
◆まずは開会にあたり堀江町長が熱く語られました。

全国で活躍する日野商人は団結して幕府と掛け合い1680年2月5日に年貢米を銀貨で納める特例の許可を取り付けました。
この日を「日野商人の日」と制定する・・と宣言されました。
来賓として、NPO三方よし研究所の理事長(小生)が祝辞を述べました。

◆いよいよ末永先生(同志社大学名誉教授)の講演です。

近江商人の昔の旅商姿

近江商人のノコギリ商法・・・上方の物産を東北地方で売り、東北の物産を仕入れて上方で売ること

古手=古着、日野椀=漆塗のおわんを作った、生糸=絹糸の原料、紅花=赤い染料、紫根=漢方の材料で解熱剤、青苧(あおそ、からむし)=麻のような裃の素材
原材料は東北地方で仕入れ、製品は上方で作って全国へ販売していました。

日野商人は問屋制手工業(マニュファクチュア)で、和漢方薬(感応丸など)や漆の塗りわんなどを作って全国に卸していました。

感応丸の主人の正野玄三

熱弁を振るう末永先生

皆、真剣に講演を聞いておられ日野の方々の熱意がひしひしと伝わってきました。

大当番仲間・・・日野商人は同郷の仲間と組んで活躍しました。


金公事=売掛金などのお金の支払いの遅延などを巡る争いごと。

押し込め隠居=主人の息子の出来が悪いと奉公人が諫言(いさめること)し、効果がないと息子を強引に隠居さすこと。

かくして店の存続を優先させました。

日野商人の中井源左衛門(1716‐1805)は関東への行商から身を起こし、栃木県、仙台、伏見から全国へ店舗(日野屋)を広げ、生糸、紅花、漆器、薬種、さらに金融業(質屋、大名貸し)、製紙や酒造業へと拡大しました。

日野商人は特権を獲得して繁栄を図りました。(大当番仲間の団結)

世間よし(社会貢献)の実践


公共事業を自ら実践しました。

日本は長寿企業が世界一多く、老舗が沢山あります。

創業200年以上の企業は、日本が世界の43%を占める老舗大国であります!(^^)!
弊社にも、中国から訪日企業研修団が沢山来られ、年に50回、延べ1,500人位のCEOが近江商人の三方よし講座を学びに来られます。
キザエモンは、中国では有名人であります・・・エヘン( ^)o(^ )

◆いよいよパネルディスカッションが始まりました。

堀江和博町長です。40才でやる気満々です。

満田良順館長(日野商人館)、日野商人の生き字引です。

社信之宮司(綿向神社)、日野商人の心のよりどころ

左は司会の藤村事務局長(百年経営研究機構)とパネラー

締めくくりは末永先生の熱い激励でありました。

熱気あふれる「近江日野商人の日」の制定(2月5日)のキックオフイベントでした。
我々(NPO三方よし研究所)も日野商人、八幡商人、五個荘商人が一つになるような「近江商人団結イベント」をせねばと思いました(^^)/