2025年6月17日 (火)
三重県の秘境・・・伊勢奥津まで(^_-)-☆
「さんとうぶん」の総会が伊勢奥津であるというので、近鉄とJR(名松線)に乗り継ぎ、京都から3時間かけて参加しました。
近鉄電車で京都から松阪まで特急は快適でした!(^^)!
この伊勢奥津は地図で見ると南北に長い三重県の東の端にあります。
JR名松線は「名張ー松阪」の区間の線路ですが、実際には、松阪から伊勢奥津までの路線で、伊勢奥津から名張の線路はありません。
近鉄が名張から松阪まで特急の線路をつくったので建設は途中でなくなり、名松線とは名ばかりで実際はその半分の長さとなりました。
さて、「さんとうぶん」の総会です。
さんとうぶんとは「三重県・国登録文化財所有者の会」を略して、「三登文」ですが、「文化財の所有者・建築士・ヘリテージマネージャー」が役割を三等分で受け持ち、登録文化財を守っていこうというネーミングだそうです。
さて総会が始まりました。
質疑応答が活発に交わされます。
ヘリテージカードが交付式で、長谷会長から会員へ授与されます。
非常に中身のある総会でした。
レディフォーさんからクラウドファウンティングの仕組みの説明です。
津市の職員さんから伊勢奥津の蒸気機関車の給水塔が国登録文化財に認定された説明です。
実地見学会です。
JR伊勢奥津の幽霊プラットフォーム
伊勢奥津からさらに名張まで延伸するはずだった錆びた線路・・・
蒸気機関車の給水塔です。
この給水塔がめでたく登録文化財に認定されました。
右のコンクリートの施設は、ポンプで地下水を汲み上げ砂を除去する水槽があります。
この辺りは昔は「大阪ー大和ー伊勢奥津ー松阪ー伊勢」のゴールデンルート(伊勢街道)で昔は栄華を競いました。
吉野杉から伊勢奥津は杉の名産地で林業の盛んな時代は、この辺りは吉野ダラー(林業の長者)につながる杉の名産地でした。
さらに昔はこの辺りで水銀がとれ奈良の大仏建立でも活躍したそうです。
伊勢奥津はお金持ちの集落で呉服屋さんや色々な商店も栄えた大商業地でもありました。
伊勢街道の旧道です。
のれん街といわれる名店をしのんで暖簾を復活し、空き家にも人が住み地元に貢献されています。
木綿の生地に草木染を復活されています。
当時は大ショッピングセンターでした・・・扇のように丸く広がっているので扇屋さんです。
伊勢奥津から名張まで車で送って頂きました。
登録文化財の会員さんの旅館「清風亭」さんです。
昔、文豪が宿泊された有名旅館です。
木屋正酒造さんです。
造り酒屋のシンボルの杉玉がかかっています。
当主の大西武夫さんにご案内して頂きました。
杉玉は大和の三輪大社から頂かれるそうです。
超有名な而今(じこん)の銘酒を製造されている酒蔵を見学し素晴らしい緊張感でした。
酒蔵の奥にかかっている伊賀の組みひも・・・
お座敷に堂々たる文字で「積善の家に必ず余慶あり」(よい行いを積む家には必ず子孫に慶び事がある)と書かれた扁額が掛かっていました。
大西武夫さんが五個荘の拙宅の来られたおり、拙宅の家訓の扁額がお気に召したようで、小学生の二人の男子の孫さんに習字でこれを書かせて2つ表装をして扁額にされたそうです。
大西武夫さんのお孫さん(小学生の男児)への薫陶ぶりがよく分かりました。
大西家と塚本家は親戚になったような気分がしました。
立派な手入れの行き届いた鯉の泳ぐ庭を鑑賞しました。
思い出深い三重の名張をあとに京都の帰途につきました。
大変お世話になりありがとうございました。