喜左衛門ブログ:President Blog

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2026年8月31日 (月)

お盆休みの小旅行・・・鞆の浦(広島県福山市)は情緒がたっぷり(広島その2)

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「鞆の浦(とものうら)」は、昔は江戸時代から潮待ち港(海の宿場)で有名でした。
瀬戸内海は潮の流れがあり、紀伊水道(紀伊半島)からの流れと豊後水道(九州)からの流れが鞆の浦でぶつかり、東行きか西行かで潮の流れに乗ると早く付きます。
しかし潮の流れの逆行は非常に困難です。それで干満の潮の流れと天候の具合を、鞆の浦で宿泊をしてタイミングを計る(潮待ち)のです。
同時に絶好の漁場であり穏やかな漁港でもあります。

宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」の構想地として有名です。
鞆の浦の崖の上にある船番所の屋敷に宮崎駿さんは長逗留しました。

昔ながらの風情があり、鞆の浦は町並み保存地区に選定されました。

宿屋の多い海の宿場町であり、栄えた漁港であり豪商の家や遊郭が多数ありました。
「太田家住宅」(重文)を見学しました。


「保命酒」の醸造元で福山藩公認の造り酒屋でペリー提督の接待用にも使われました。福山藩のお殿さんであった阿部正弘(1819-1857)は25歳で老中首座について幕政を仕切り、開国に導きました。
立派なお座敷です。

造り酒屋の工程が判ります。

初午の縁起物。

この海域で坂本龍馬の蒸気船「いろは丸」が紀州藩の御用船が衝突し、いろは丸は沈没しました。坂本竜馬は万国公法や海事裁判を勉強しており、竜馬の論法に紀州藩は負け、多額の賠償金を支払います。

海底の沈没した「いろは丸」の残骸の復元

有名な鞆の浦の常夜灯(灯台、1859年に建設)です。

保命酒は4軒の酒屋さんが販売しています。

我々の旅館です。江戸時代は遊郭だったとか・・・地元の人の話です”(-“”-)”

温泉に浸かってご機嫌の小生(^^)/

江戸時代の防波堤、地元の人の自慢です!

沼名前神社から望む鞆の浦

豊臣秀吉ゆかりの能舞台(重文)


お世話になったアサヒタクシーの運転手さん(電気自動車のカート)

ゴルフ場のカートのような電気自動車で狭い鞆の浦の道路をスイスイ走り、この運転手さんは地元の人と挨拶を交わしながら熱心にガイドをしてくれるのです。
ここで育ったガイドさんは、幼い時からの愛着があるので実に滋味のある話をして頂き、得難い勉強になります(^^♪

江戸時代、朝鮮通信使を對潮楼(福禅寺)にてもてなし、大使はこの絶景に「世界一の眺望だ」と褒めたそうです。

市営の渡し船(新いろは丸)

福山市というと常石造船が有名な地元企業です。日本一の造船所は今治造船で、常石はナンバー2で世界10位です。常石造船のオーナーの神原一族が建立した神勝禅寺(建仁寺派)が「禅と庭とアートのミュージアム」で人気の的です。 山奥ですが見学に行きました。

1965年に神原秀夫氏(2代目社長)は、創業者である父の神原勝太郎をしのんで、神勝禅寺を創建しました。

山野を切り開き7万坪もあるという広大な境内です。
京都から移築したという由緒ある立派な山門です。

茅葺の野趣のある屋敷です。

多宝塔

名和晃平アートパビリオンです。


暗闇の中でかすかな映像(瀬戸内海の夜の海)とかすかな音がして、瞑想の25分間をすごします。

庭園や野仏を鑑賞しながら散策をしました。

本堂は白隠禅師(1686-1769)の墨蹟(水墨画と文字)が展示しています。

簡素で味わいのある白隠の書画のコレクションです。
創建者の神原秀夫さん(2代目)と神原勝成さん(3代目)の壮大な構想と執念、時代性を感じ、心を打たれました。

福山駅前(JR,山陽新幹線の駅)に秀麗な福山城があります。

「駅前のお城」だと思ったら。城内に駅舎があるのだそうです。
福山藩の初代藩主は、徳川家康のいとこの水野勝成は「鬼日向(おにひゅうが)」の異名を持つ勇将でした。

福山城は何回も行こうと思いながら、駅前立地の便利さでまた次に行こうと思っていまだに行っていません。
楽しい広島~呉~福山旅行でした・・・