喜左衛門ブログ:President Blog

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2026年9月2日 (水)

銅鐸と辰馬家について

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先日、京都国立博物館で「辰馬考古資料館の名品」の展覧会があり行ってきました。
副題は「鉄斎と交流、考古学に寄せるまなざし」という含蓄のあるタイトルです。
展覧会は地味なタイトルで、弥生時代の銅鐸(重要文化財がずらり)の展示ですが、大勢の来館者、外国人も多く注目度の高さに驚きました。

辰馬悦蔵氏(初代、悦叟、1835-1920)は、明治大正期に活躍した兵庫県西宮市の酒造メーカー(灘の白鷹)の創業者であり、近代文人画の巨匠である富岡鉄斎と深い親交を結んだ芸術庇護者(コレクター)です。鉄斎は彼の家に滞在し多くの作品を描くなど、鉄斎と悦蔵氏の二人が晩年の人生を楽しみ葛藤した様子が見えてきます。
初代が収集したコレクションは、3代目辰馬悦蔵(1892-1980)に引き継がれます。

3代目の辰馬悦蔵氏は実業家であり終生にわたって考古学を極め、その銅鐸の研究と収集は世界的なレベルで辰馬考古資料館に収蔵されています。
この辰馬の3代にわたる人生と事業、富岡鉄斎のコレクション、多くの銅鐸の展示が京都国立博物館で行われました。
酷暑の中、家内と出かけました・・・・

さて、銅鐸(どうたく)は、弥生時代(BC2世紀~AD2世紀)に作られた釣り鐘型の青銅器(銅・錫・鉛の合金)です。
農耕の豊作を祈る祭の道具として使われ、内部につるした棒を揺らして音を鳴らしていました。当時は黄金に輝き、小さいものは30センチ、大きいものは1メーターほどありました。
近畿地方から出土され紋様は動物や農作業の様子が描かれ流水紋様などがあります。

3代目・辰馬悦蔵氏は京都帝国大学で考古学を学び、縄文時代~弥生時代にわたっての考古コレクションは銅器だけでなく土偶、土器、銅鏡に及びます。

初代・辰馬悦蔵氏(悦叟)は、辰馬本家(灘の清酒、白鹿)から1862年に北辰馬として独立し、酒造業(白鷹)を立ち上げ、事業として大きく成功します。
その頃、富岡鉄斎の辰馬家で長逗留しました。 この作品は鉄斎79歳のときの作、奈良朝時代、遣唐使の一員として阿倍仲麻呂が長きにわたる唐での仕官を経て帰朝するにあたり明州〈寧波〉での送別会の席上、和歌を詠んだ場面を描きました。(富岡鉄斎、重要文化財)

この写真は3代目辰馬悦蔵氏(左から2人目)が神戸市桜ケ丘遺跡での記念撮影

私の父(5代目、塚本喜左衛門)は3代目の辰馬悦蔵氏を大変に尊敬し、次男の辰馬伸彦氏と娘(私の次姉)が結婚しました。
辰馬悦蔵氏は京都帝国大学考古学、私の父は京都帝国大学法科の卒業で明治人間として通じ合うものがあったのかもしれません。
ちなみに辰馬伸彦さんも京都大学理学部卒で、白鷹の専務を永年勤めあげ、同時に数学者として研究をされ大変な人望家でした。(没)
父、5代目、塚本喜左衛門(1908-2000)

私の若い頃、父と一緒に辰馬家に挨拶に行った折、辰馬悦蔵氏の威厳があり上品な優しいまなざしが忘れられません。
考古学の研究と辰馬家の家風と生き様をしのぶ展覧会は、私にとり大変に感動的でありました。